ニュースにのらないテクノウチ#1 『努力する才能』(3620文字)
もう8年ぐらい通っている(そして時にはDTM系限定で講師として参加することもある)美学校の横川理彦(元4-D/P-MODEL/After Dinner)先生のクラスに行ってきました。
私は横川先生のことを勝手に「お師匠様」と呼んでいて、上記美学校本では岸野雄一先生が「横川さんとテクノウチ君の師弟的関係」と書いてくれたのがとても嬉しかったのですが、もう何年習っているのでしょうね。
私の行動には毎回むらがあるので「ここ半年は」という状態なのですが、横川先生には課題を出して頂いて毎回添削してもらうということをやって頂いています。とても贅沢で、ありがたく、有意義な時間です。感謝致します。
しかしまぁこれが、出来ねぇんだ。ボロボロなんだ!(‘ᾥ’;)
今回はLittle Eva / The Locomotionの耳コピ課題なのですが、先生の正解が白、私の誤答が灰色、灰色がないところは白と重なっておりつまりそこだけは正解という感じです。(※ちなみに先生はこういうのを大体その場で聴いて30秒ぐらいで書く、私は大体まる一日かけて作る)
なんだこりゃ!(‘ᾥ’;)なんなんだこりゃ!(‘ᾥ’;)
もうね、何年もやってるから慣れたんですけど、やっぱり慣れないんですよ。もう、毎回絶望します。何故、ここまで半音当てして気が付かないんだろう。「今週の宿題を持ってきました」と鳴らすと鳴らして2秒で先生と周りの美学校スタッフが「これは凄い 笑」と思わず笑ってしまう。私は同時に聴いていても「確かに少し変かな?」という感じで聴いているのですが、こうしてMIDIで正答と重ね見ると実に正答率10%ちょっと、ひたすら半音であてていく。
次は私が拾ったコードです。私はスケールをFメジャー?かな?と思って書いているんですね。「あれ?なんか課題テーマになってるⅠ⇔Ⅵ進行出てこないな?」と思いながらも実際こう聴こえるんだから分からないので書いて持ってくる。
正答はこちら!まずFメジャーではなくE♭メジャー!つまり全てのメロディーが私の想定よりも♭が2個もズレている状態でメロディーを検証している。そしてその違和感に気が付かない。で、更に問題なのは後ろで全体が4度上がってⅣ⇔Ⅱに進むのですが、私はそこを「コードは変化していない」と判定している。で、全体で見渡すと「一個として」「一個として」コードの正答はない!
音楽理論のレベルが低いことは現実に低いのでもう開き直って「またこんなにうまくいかなかった」と何度もトーク動画・トークショウやツイートでお話していますが、本人は毎回本気で絶望しています。「山下君向けのほぼⅠ⇔Ⅵ進行しかないシンプルな60年代の定番曲」という課題で、ここまで大きく間違えると、もう部屋に戻ってから机をぶっ叩くような勢いでイライラしてしまいます(‘ᾥ’;) きぃえー!
まず調(スケール)が当てられない、ハ長調(Cメジャー)とかね、そういう木の根っこですね。これがほぼ間違いなく同定出来ない。楽曲を作って先生の所によく持っていくのですね。「先生、Bマイナーのはずなんですけど、必ず4小節目でここの音が2音ズレてしまって、でも戻すと目的の音にならないからしっくりこないんでズラさざるを得ないんです。これ、私は何をしているんですか?」「あぁBマイナーじゃなくてこれずっとC#マイナーだよ」ということが頻発します。
つまり自分の作っている曲の調が分からない、自分で作っている曲の調の正答率で大体50%ぐらいです。他人の曲だとほぼ80,90%ぐらいの確率で間違えます。半音ぶつかれば気がつくやろ、と自分でも思うのですが、気が付かない。私の耳はどうなってるんだ。
もうこうなると開き直るしかないんです。「音楽理論が分からないのでセンスだけで音楽を作っているDJ TECHNORCH」、開き直って言います。でも本人はもう辛くて辛くて仕方がない。こんな自分が毎週嫌になってしまいイライラしてしまう。イライラしても仕方がない。努力するしかないのですね。
最近読んだ鴻上尚史さんのエッセイに「プロ野球・メジャーリーグの観客席にだけ居続けるといつしか草野球を馬鹿にするようになる、でも実際に草野球を一度でもやるとこんなに楽しいものはないと気がつく」というお話が出てきます。
エッセイはここが主題ではなく「僕には一生恋愛なんかできるはずがない」という人に対して「それは恋愛というものがメジャーリーグレベルのものではないといけないということではないですか?草野球の恋愛を想定したことがあって、それでも尚、一生恋愛なんかできるはずがないと言っているのですか?」という主題です。
私は音楽を勉強するぞ、という姿勢をとって、ちゃんと練習しないまま授業だけ長いこと受けているので理屈だけどんどん耳年増になっていって、いざ自分の番になるとこれに近いことを自分に言ってしまうのだと思います。これは格闘ゲームでプロゲーマーの大会ばっかり観戦したり、所謂ゲームの「動画勢」をしばらくしてから自分でキャラクターを動かしてみた時によく起きる現象です。
頭の中にある「このぐらい出来て当然」という理屈に、身体が全く追いつかないのです。私の音楽の勉強はここがかなり極端です。さすがにこの半音ぶつけ数は美学校スタッフさんにも「ダンスミュージックの人にはよくいるけど、山下君はちょっと極端だよね」という話になりましたから極端ではあるのでしょうけど。
ただ、もう「音楽理論が分からないDJ TECHNORCH」で開き直るだけというのも飽きました。自己防衛してるようで結局精神衛生上良くないです。この「才能」もしくは「向き・不向き」についてこの夏、横川先生と話し合い「でも、実際練習してないよね?」「はい!(‘ᾥ’;)」というお話になりました。
こんなに練習しなくて本当に「好き」と言えるのか、こんなに練習が辛くて「好き」と言えるのか、いつも思ってしまう。こんなの、運動部で全国狙ってる高校生に話したら「何次元の低いこと言ってるの」というぐらい低レベルな話だと思うけれど、自分で嫌になるほど我慢が足らず、かつ強烈に無い物ねだりしてしまう。
横川先生や美学校スタッフ曰く、「才能のあるなしに関わらず最低限ただの筋トレ的鍛錬で絶対に身につく領域がある。そして山下君がDJ TECHNORCHとして求めるレベルはその領域の内側に入っている。だから山下君、一回"僕は根本的に才能が!"とか云々じゃなくて一度そこまでちゃんとやってみよう。」という話になりました。
私は自分に、鴻上尚史さんのエッセイの「僕には一生恋愛なんかできるはずがない」という人が「恋愛=メジャーリーグレベルの恋愛と相手」と決め付けて「僕には出来るはずがない」と言っている構図に近いものを感じました。観戦席と動画勢に慣れすぎていて草野球を舐めている、高校球児の誰もがやっている努力の数%も行っていない。
努力だ。とにかく圧倒的に努力が足りない。下手に「本来はここまで出来るはず」という理論値の限界だけ覚えて実行に移さないので(私はこれを自分で『TAS的世界観』とよく呼んでいる)
※TAS的世界観:全ての行動・能力配分を理論値MAXで実行出来るとすればどうなるかで先に考えてしまう思考法。作曲に限らず、就活生とかがよく成ってる。数千回の撮り直しで理論上最速行動でクリアするドラクエやロックマンのTAS(ツールアシステッドスピードラン)動画を毎日眺めてるとついなってしまう。実際の人間は理論値MAXとは程遠い行動をとるが、頂上決戦やTAS動画ばかり見ているとそれを忘れる。特に自分がやってみた時の絶望感って凄い。
実際に自分が行動をとった時に簡単に絶望して辞めてしまう。もうこんなのは嫌だ。耐えられない。何に耐えられないって大量に失敗して自分のレベルに絶望してしまう自分よりも、何も成していないうちに辞めてしまう自分の方に耐えられない。
『努力する才能』
『決して華やかではない だがこの上なく素晴らしい個性』