自分語り#655 過去作品に触れる悶絶 (10581文字)

 

今日の自分語りはいつもより更にとっちらかっています。

 

 

 

目次

昔書いた短編

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短編「ラ行の女」(2007年)

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beatmania IIDX 21 SPADA 「廿」 楽曲コメント (2013年)

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短編「天上天下」(2014年)

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短編 「X↑ その1 / その2」 (2019年)

二十三歳ぐらいの時の文章とDJ録音

Twitterのタイムラインでありがたいことに随分前に書いた上の短編の感想を見かけ、特にラ行の女は大分頭から抜けていたのでそういえばこんな感じだったとなんだか懐かしい感じに。

長文や短編はtechnorch.com長文コーナーに置いてあります。それにしてもサイトデザイン随分このままですのでそのうちなんとかしたい。

最近はこのゴールデンウィーク中に一気に昔のDJ MIXシリーズ(大体が2007年の録音)を投稿したりしてます。上記の短編を含め、昔のDJ録音も今読んだり聴いたりすると「ウオー!(‘ᾥ’;)」ってなったりすることが多いのですが流石に三十六歳にもなると「二十三歳の頃って実際にこんな感じだったんだから仕方が無いじゃない」と思えるようになってきました。

伊集院光 深夜の馬鹿力を聞いてると「五十歳になると十代の頃のアレで酒が呑めるようになってくる」という話がよく出てきますが、今時分では「なんとか大丈夫」というレベルなのでまだあんまり楽しめる余裕がありません。歳を取るというのは楽しいことですね。

BIBLEシリーズ(DJ活動四年目の時のDJ録音)は繋ぎがズレてるのをそのまま録音してたのはちょっとビックリしました。あと当時人前ではOLDSKOOL HARDCORE RAVEでDJすることがほぼなく、家でしかやっていなかったので繋ぎが今と全く違うというか、「そこ無理してロングミックスしないで早くカットインしろ!早く!」っていう部分が一杯出てきます。聴いてたらなんかやっぱりウォー!(‘ᾥ’;)ってなってきました。

昔の作品を聴き直してやたらと悶絶するのは

対して短編の方は結局万年を通してそんなに書いてもいないし結果上達もしていないので結構葛藤無く読めます。つまり、私の場合自分の過去作品を何の葛藤(酒のツマミに出来るのも葛藤を乗り越えた上の話)もなく接することができるというのは「昔も今も大して成長していない分野」ということになります。これは結構な発見で、昔の作品に接することでこんなに悶絶すのはそれはつまり「ちゃんとあの時よりも成長してる」からだとも言いかえられますし。そう考えるとウォー!(‘ᾥ’;)ってするのもなんだかいいじゃないかと思えますね。

実際作曲は私の手作業の中で一番真剣に考える分野なので「リリース以降三年に一度も聴いていない、ものによってはSpotify配信作業で必要があって一度聴いた、ぐらいしかまともに聴き返したことがない」楽曲もあります。こちらは葛藤だらけというか悶絶で、まだ大分咀嚼出来ません。作った作品を具体名を挙げて公然と否定するのは、前提としてその作品にお金を払ってくれている人が居る訳で、愛してくれる人が居る訳で、それはするべきではないと考えています。でも、同時に出来ないとその作品に対する反芻がなくなるので解消しなかったりします。だからたまに、これが好きだと言ってくれたお仕事関係の方と、かなり親密な関係になった時だけ意を決して「実は」と話すことになります。

失敗作と思った作品が意外と好評な理由

さっき反芻と書きましたがこれが不思議なもので、あまりにも強烈に否定から入っている自己作品に関してはもはやカウンセリングみたいになっていることがあります。「これはさすがに無い、やってしまった。」と思っている作品がちゃんと代表作の一つになっていることがありまして、これは応答しなくても結構「好き」という声が届くので自己解決できます。いや、よく考えてみると結構良かったじゃないか。いや、むしろ納得していないから良くなったんじゃないかとなります。面白いものです。

何故納得いっていなかった作品が納得いかないが故に好評になるかというと、簡単に言うと手を抜いているから良い、アイデアが足りないから良いということになると思います。つまり私は大抵「あぁ今回は新しいチャレンジが出来なかった。なんかいつも通りな感じになってしまった」ということで悩んでました(これは後述の「圧倒的多幸感」より前の作品では向き合えていなかった大目的・悩み)。新しいことにチャレンジ出来ず、手癖で作ってしまった曲ということです。結果、いつもやっている方法で、一番得意なやり方を、手癖になるほど馴染んだ方法でちゃんと達成している曲ともいえます。自分の得意分野が反映されています。本人がそれが好きかどうかはさておき、自分の得意分野が一番はっきり出ている作品であると言えます。また、新しいチャレンジをしていないので、馴染みの手法+新しいアイデアという形になっていないので馴染みの手法ワンテーマの作品になっています。だから情報量が最大化されていないのですんなり聴けます。長年反芻してみたのですが、こういうことじゃないでしょうか?

一番嫌いだった作品を受け止められる

でも自分でも聴き直したくないし、本当に人気もないし、という楽曲はフィードバックがないので反芻する機会が極端に少なかったりします。こういうので去年末ぐらいに一つ良いことがありました。アルバム作品の中で自分自身で最も好きになれない曲があったのです。多分これはリリース後もトータル三回ぐらいしか聴き直してなかった楽曲だと思います。それで、ずっとやり取りしていたイラストレーターさんがこの曲が一番好きだと言ってくれたのですね。この体験は強烈で、かなり色々な話題をざっくばらんに話し合うイラストレーターさんだったので、最終的に自分の心情を打ち明けました。この曲に対するフィードバックは今回が初めてなのです。だから反芻する機会も一度しかないのですが、一回でも熱量があれば乗り越えられる事がわかりました。ありがたいものです。この時の応答でこの作品が受け止められるようになりました。

活動タームと休止ターム

そもそもが「新しいチャレンジが出来なかった」という問題はなんなのでしょうか。作品に対する悩みは人それぞれだと思いますが、私は大体何年かで一つの大きな悩み(大目的)が解決します。問題に打ちのめされる時期と解決する時期で時間が進みます。時間で表すと私は躁鬱循環気質なので大体三・四年活動して同じぐらい休む、また同じぐらいのサイクルで再活動する、また同じぐらい休むという循環で過ごしています。

テクノウチ入門は大体五周年ベストを五年おきに出すのですが、五周年ベストなのに常にどこか数年が穴空きで、残りどこか数年の作品でほぼ全て埋まっています。躁(つまりすごいきもちいい)とか鬱(つまり全部僕が悪い)とかを制御して平穏(アタラクシア)を目指す試みは初段階で随分試みましたが無理そうなのでやめました。そのままを受け入れた方が早いですし何より楽しいようです。

楽曲名と大目的

一つ一つの大目的について考えてみます。躁期(活動期間)→鬱期(活動休止期間)に入る時には大体そのタームごとの大目的(悩み)があります。これは極めて個人的な悩みなので基本「そんなことで」という話ですから話半分で受け流してください。BOSS ON PARADE REMIXES → STARIGHTの間の大目的は「私が作る音楽は他の人が作る作品と代わりが効いてはいけない」という悩みでした。つまり代替性。「人間にそんなことは出来ない」と解決しました。そんなことに二年もかけて…自分でも吃驚しますが本当にそんな感じのことに何年もかかるのだから仕方がないですね。

私の場合は大体問題を自覚して向き合ったり解決したりするとその小目的が楽曲名に出てきます。なんで楽曲名になると大体解決するのだろうと思いますが、「問題というのは何が問題かを自覚すると解決する」ということなのかもしれません。今やっているこの文章も書き文字のセルフ・カウンセリングみたいなものですね。つまり認知行動療法です。反芻のため今日は実際に楽曲名にした小目的と問題を羅列してみます。以下猛烈に長いですし、自分のための認知行動療法を兼ねてますから、個別の楽曲名に興味がない場合読んでもあまり仕様が無い感じになっております。

私 〜HERRE I AM〜 2005:私はここにいる、相手にして欲しいという問題

初期の頃のは問題自体に具体性がなくとんでもなくふわっとしてるので見直すと大分驚きますね。私はここにいるよ、もっと私を見て、ということですね。なんだか中学生みたいで困ります。もう大学生だったと思います。基本的に私のほとんどの問題は「未熟」に端を発しているのですが、その中でもこれが一番ストレイトな気がします。認めてくれる人も仲間もいなくて寂しいよということですね。これは問題と向き合うのではなく好きなことを好きなようにやったら解決しました。X↑X↓の楽曲コメントでも書いてますが私の大抵の夢と願いは「諦めた後に解決」します。別のことに集中していたら解決しました。でもこれは問題と向き合っていないですし、年を追うごとに偶然変化して解決する問題は減り、変わらない問題とどう向き合うか、咀嚼するかの方が問題となってきます。

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妖怪 鎌鼬

KAMAITACHI 2007:見ることも触れることも感知することも出来ない漠然とした不安

KAMAITACHIの当時の楽曲コメントにもそのまま書いていますが、つまり妖怪鎌鼬です。鎌鼬は足を掬う妖怪と斬る妖怪と治す妖怪の三人一人セットです。音もなく足を斬られるので恐怖の前段階がなく、鎌鼬は斬られる痛みがないことも特徴で経過の恐怖もありません、そして治す妖怪がいるので傷が塞がっていて短期間にこれもなくなってしまいます。現実的に問題といえる問題が残っていません。鎌鼬が残していくのは漠然とした後の恐怖です。ある時期から漠然とした恐怖にかられ、問題が何かも分からず、しかも気が付いたらまた同じことが起きるかもしれないと恐怖する。ようは鬱。「問題というのは何が問題だと自覚すると解決する」と書きましたが、これは「何が問題かすら分からないとは自覚している」という段階です。この頃はまだ病院にも行っていないので病識もありません。なんとも苦労しますね。

METALLIC MIND 2007:鉄の心が欲しいという願望

ふわっとしてる。とにかく初期の楽曲は問題がひたすらふわっとしてる。ようは「何が問題か分からないのでとりあえず頑張れる人になりたい」っていうことですね。それは無理だと思います。

逃走讃美歌 〜Running Machine〜 2008:逃走への罪悪感

探しものは見つかりましたか?問題が何か分かりましたか? (Running Costとして2010年で反転、音ゲー賛美歌として2019年に反転)

Last Escape Remix 2008:これで逃げるのは最期だという願望

Metallic Mindとほぼ同じ、とにかく頑張るを言い換えてる。問題が分からない。

888 2008: 四国八十八箇所巡り×八百回

いくら祈っても、何を祈っているのか分からなければ神様もどうしようもないと思います。問題が分からない。

 

活動休止 (大目的は代替性だと自覚する)

 

一回性二階席 〜STRAIGHT〜 ・反復回転時計 〜RUNNING COST〜・無明ヶ丘危険地帯 〜ATARAXIA〜 2010:私は誰にも代わりの効かない人、ではない(経路として)

誰とも代わりが効かない音楽を作らなければ「いけない」、常に最先端の音楽を作っていなければ「いけない」ことの解決。この二つは常にかなり広範囲の一番でなければ達成しない願望ですが、そんなことは出来ているというのは思い込みだし、出来るはずがないし、出来ていないことに悩むのはみんなそうなのだから杞憂ですねという解決。そういう完全な音楽は出来ないので一回性で良いですストレイトに生きましょう、それを二階席から見下ろしてみましょう、時計が反復しても構いません、平均して常に同じだけの成果を出し続けられる平衡平常平穏(アタラクシア)状態には私は成れません、私は最低生活を維持することに普通の人よりランニングコストが悪いです、躁期も鬱期も常に何かしらの問題があり無明の丘で危険地帯に生きている、それをまず認めましょう、というシングル三部作。三つワンセットなので三つとも楽曲ジャンルが違います。やっとここで問題が認識出来ている感じが出てきます。この問題は当時はまだ奮闘中でしたが、認識出来ているので結構に時間の問題。

内閣総理大臣賞 2011:私は誰にも代わりの効かない一人ではない(時間として)

「世界で一つだけの花」的な歌詞をナンバーワンでオンリーワンのSMAPが歌うことと、客が四人のバンドマンが歌うことでは大分意味合いが違いますが、この楽曲の歌詞は基本的に後者の立場。前者がとても大切で、後者は補完的な意味合いしかないですが、それはそれで必要だと思います。天寿を全うするならば、必ず私と同い年がノーベル賞を取る時期が来ます、私と同い年が内閣総理大臣になり、私と同い年がローマ法王になります。まずはそれを認めましょうという曲。

ハーゲンダッツ 〜Final Nirvana〜 2010:大問題はしょうもないことで解決する

Final Nirvana(最終解脱)なんてハーゲンダッツのおいしさ一つで出来ちゃうんです、凄く高尚な悩みだと思っていたことが問題を具体化すると実にしょうもないことで解決しますねという曲。KAMAITACHIという恐ろしく漠然とフワッとした巨大な恐怖がハーゲンダッツという具体的で実にしょうもない解決に至る。問題を具体化するとそのあまりの仕様の無さに驚くのはいつの時代でも認知行動療法の共通点。

少女IN 2011:私達は皆等しく価値がない、だから自殺をしても全く意味がない

「俺と同い年が内閣総理大臣」になるのなら誤差が拡大する前にリセットするべきではという話になる。但し私達は皆等しく価値がなく、特に中学二年生の段階ではその価値の差はほぼ誤差しかない、誤差だからこそ命をかけたリセットには意味がない。せめて成熟するまでは生きてみたら、という曲。中学二年生の主観ではとんでもなくちょっとした誤差が最大化してみえる。問題がなにかもわからないのに鉄の心でとりあえず頑張るとか言っちゃう。でも誤差の範囲内でも辛いものは辛いから短期的な快楽で頭の中に少女INしてごまかそう。ただし内閣総理大臣賞は壮年期の大人、少女INは自分の内面には何の価値がないが自分の身体には春を売るだけの価値があると思っている少女に対する解決が提示されていない。この大体十年後には「時間が全てを解決する」という東京神話が作りますが、これは包括的で具体性のない全面解決の提案で、結局は何がなんでも死んでほしくないのですね。世の中の大半の問題はなんとかなると思いますが、死んでしまうことだけは取り返しがつかない。私が好きなエログロ表現における死は不可逆的表現で、だからフィクションとしては極限の純愛になるんですが、これはフィクションであるから成立することであって、それはフィクションの外側に絶対に出てほしくないんです。私の活動休止中にimoutoid君が亡くなっています。もう本当に人が死ぬことだけは絶対に耐えられない。人が死ぬことだけは絶対に何の解決も出来ない。私はもうそれだけは絶対に嫌なんだ。

内閣総辞職 〜WATASHITACHI〜 2011:私は私達へ

中 〜CENTRISM〜 2011:中道

ウェブ公開DJ MIX「中央」シリーズ 2011から:中央

躁期と鬱期の本来的な中心点は私にはなく、私が中道だと思う位置(私にとってはエログロ表現が、例えば「中」のジャケは十字架に横たわる両手の無い少女)が、私が一番好きな音楽性が私の「中央」「MAINSTREAM」なんです、という時期。この時期にははっきりとHappy HardcoreはUK Hardcoreへ、NuStyle HardcoreはMainstream Hardcoreという音楽へ移り、私にはこれが主流・中央のハードコアには聴こえなかったので、内閣総理大臣賞の副題は「HARDCORE TECHNO POP」だし、「中」とか、「中央」とか名乗るこれらも、人にはそれぞれの中央と主流があって良いと考えました。私にとっての主流派の音楽が、はっきりと客観的な主流派のDJシーンから分離し始め、内閣総理大臣賞あたりから具体的にDJ用の楽曲構成を辞め始めましたが、とても緩やかに分解していきました。

七夕の国 (Vocal Version) 2012:歌詞、教室の隅で独り佇む旧友は決して善人ではない

ボーカルバージョン (2019年公開)がお蔵入りになるも、歌詞自体はHell Scaper Last Escape Remixの楽曲コメントで書いた教室の隅で独り佇む級友は決して感情がないモンスターではないという部分にだけ集中している歌詞。独り佇む旧友は「可愛そう」かもしれないけれど、独りでかつ感情があるが故に「モンスター」かもしれない、「可愛そう」であることと「可愛げがある」ことは全く違うかもしれないという話。この独りで在ることをなんとか正当化するための強烈な他罰性は短編 天上天下 (2014)では釵売天上というキャラクターに成ってほぼそのまま出てくる。この独りであることの強烈な他罰性を反転して強烈な内罰性とした形では同じく2014年の全部僕が悪いの歌詞にも出て、ひっくり返ってる。

I WANNA BE A HAPPY・圧倒的多幸感 〜My Gabber is Your Gabba is Your Gabber is Mine〜・即身成仏 2012:幸福・達成願望

I WANNA BE A HIPPYのもじりですが、この頃には幸福願望が楽曲名に出るように、楽曲名もなんか馬鹿げてて楽しげな名前が多い。正しい言語や本物のハードコアとの距離感の調整作業がなくなり始め、そもそも本来的に私と貴方のガバはあまり関係ありませんよねという話になってきました(自分言語はその後、結果Sol Cosine Job 2・廿・X↑X↓になる)。昔から躁と鬱が合体で色々やってくるので、昔から物凄い幸福で物凄い憂鬱(不幸ではない)な自覚がありました(これは躁病がある人は分かってもらえる感覚だと思います)が、この頃には憂鬱込みで日々大変だけど、それはそれで毎日幸福だなぁという決着が見え始めてました。この頃から次の大目的、「完全主義」の問題と衝突しはじめ、活動半休止に、今思うともっと早めに全休止を決断するべきだったと思います。

 

活動半休止 (大目的は完全主義へ)

 

すごいきもちいい 2014:楽しいことはそのまま楽しいと言う

2008年頃から始まった心療内科通院と以後数年に渡る処方箋中毒問題(主にHALCYON中毒)は2011年段階にはほぼ解決しておりCHURCH OF HAL(ハル協会)という楽曲に成就、この曲はそもそもCHURCH OF ENGLAND(英国国教会)をもじったCHURCH OF EXTACYというTECHNOHEAD(TECHNORCHの由来)の変名義に対するもじり(C of Eは多分エクスタシー賛美の曲だと思うので私とはネーミング方法が違う)。今度は2013年終盤から心療内科との向き合い方が代わり処方箋全体への受け止め方に変化が起きる。人為的にテンションを操作することへの不安と「罪悪感」との向き合え受け止められるようになりますが、その感想が「すごいきもちいい」っていうのはにんともかんとも。結局2014年にこの楽曲があって、完全に処方箋の処方が完全に終わる(断薬)のが2018年なので心療内科というものはなんとも壮絶。正しい言語からの分離の一貫としてFeelin' Goodという大好きなイギリスのハードコアトラックがあって、それをただ日本語に直しただけでも別に変じゃないでしょという感じでもあり、実際最初はなぜ同じ意味の言葉なのに直訳するとこんなに浮くんだろうと思いましたが、これは相当にライブやDJでもヘビープレイした楽曲となりましたので何にも違和感がなくなりました。楽しいことはそのまま楽しいと言いましょうという楽曲と、エログロが好きなら好きな通り表現してみましょうという表紙、そこで起きる問題についてはちゃんと受け止めて対処しましょうという感じに。実際好きなように好きなことをしたこの表紙は三つの流通・決済機関から流通停止措置を受け結果発禁に、その後「好きを貫く、好きの代償を受け入れる」というシンボルとして表紙の「すごいきもちいい子」が後に「スゴキモ・サガレビッチ」というレーベル・マスコットに。現在、ここまでの色々な楽曲で表現しようとしていたあらゆる大目的と解決を携えた「サガレビッチ三姉妹」をレーベル・マスコット三姉妹として製作中で結構に完成が近く楽しみです。ここらへんから明確に音楽性の目標が「情報の最大化」に向かっていく、但しこの時は自分がそこに包括される「完全主義」と向き合っているのかよく分かりませんでした。完全主義と上手く向き合えず2014年から新規収録楽曲数が激減し、2015年は新規リリースがありません。

みんな元気。 2014・完全健康体 〜強い人間原理〜 2016・解熱鎮痛一撃必殺 2016・回復行動 2017:健康問題

2016年と2017年はアルバムへの新規収録楽曲がそれぞれ1曲に。共に健康問題に関する楽曲。完全健康体リリース時に健康問題からDJ/Live活動休止。タイトルではなく音楽性としてみると真・地獄超特急は音で描く情報の最大化を全うできた気がしますので非常に満足しています。

 

アルバム全休止 (大目的は中途半端な完全主義と成熟) 以降商業参加作品のみに

 

東京神話 2018年:時間問題・勝敗問題

金野火織の金色提言 2019年:過去(時間問題)・意味問題・成熟

最小三倍完全数 2019年:完全主義

 

999 Recordingsのリリース再開 (不明)

 

素晴らしい新世界 202*年:???

今度の活動休止は明けていないのでつまり問題と問題として認識し向き合っている最中のものと既に解決している問題が混在し、しかも恐らく問題を問題として認識していない(つまり楽曲名になっていない問題)が空欄として浮いていると思います。999 Recordingsとしてのリリースが再開する頃にはきっと一つの解決を見せていると思います。常に何かしらの細かいことが細かく成長・解決・進行しているので、いつ何を聞いても「良くなっている」と話すのでここからは本人が書いているこれはアテになりませんので自分でも難しい。東京神話では「時間が全てを解決する」時間の話や勝敗問題が出てきます。金野火織も同じく過去の受け入れという時間問題と、自分がやっていることの意味問題と並列して勝敗問題、何よりも全体的に成熟の話になっています。最小三倍完全数では完全主義が出てきますね。2011年まわりで、進む道として「誰とも代わりが効かない音楽」やら「最先端の音楽性」についての妄想を解決し、好きなことを好きなようにということになってきましたが、好きなことの範囲でこれまでも「情報の最大化」やら「完全健康」とか、TAS的世界観といいますか、妄想としての超人願望は受け入れても自分の好きな分野に対する理論値最大化の願望としての完全主義とはちゃんと向き合えてませんでした。気が付いたらそういう曲名にしてるんだから問題は認識しはじめてるんでしょうが、ちゃんと完全主義とどう向き合うかという現実になったのは「完全数」の頃です。時間がかかるな。完全主義との向き合いについてはリアルタイムでこのブログでもよく触れていましたのでこちらはかなり直近の問題でした。金野火織で触れている人間の成熟については10分トーク番組頭の悪いパナシ#131 テクノウチ大人になるでは直結して話していることと同じ方向ですね。東京神話と金野火織の時間問題はかなり近く、こちらは特に金野火織では完全に咀嚼出来て解決として表現出来ていると思います。解決していますと断言出来ないのはこういう問題解決は大体三年後ぐらいに見直さないと怪しいからです。前述のようにこういうのは大体いつ聞いても「もう大体解決しました」って言うもんですから、振り返らないと分からない。なんか凄い。ちゃんと解決してない問題の話になるとより一層訳が分からない文章になりますね。

こういう過去作の話というのは大体いつ話しても「最新作が最高傑作」というのが相場ですが、御多分に漏れず私も今は「金野火織の金色提言」が一番好きです。これについては自信をもって何もいうことがない。

本人としても大問題は999 Recordingsとしてのリリース再開時期ですが、これは自分では常に次の夏では、次の秋にはと常に念じているので自分ではよくわかりません。現在タイトルが確定している楽曲は「素晴らしい新世界」という歌詞の文字量がすごい楽曲なのですが、これは現在進行系過ぎて何の問題とか解決とか言うのが憚る感じでリアルタイム問題です。やっぱり文字に起こすと色々反芻出来ますね。