自分語り#661 コール&レスポンスが楽曲から無くなる?2020年以後の楽曲構造を少し極端に考える(9778文字)

 

2020年以後の楽曲構造の変化を少し極端に考える

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2020年春以降の楽曲構造・音楽イベントの変化を少し極端に考えてみます。「極端」にと言うのは、今日(2020年5月21日 日本)羅列するこれらはどう考えても私の思いつきで、仮に私がiPhone初代 発売日当日に「iPhone以降で変わる社会構造の変化」の様な記事を書いていたとしても、きっとそれは目も当てられない程見当外れな事を書いているでしょうし、今日の記事はその仮定にも増して見当外れな事は間違いないと自分でも思うからです。それでも、とりあえず今考えられる変化を羅列してみたいと思います。

時間が経って見直してみたら「以下の羅列のうち一つでも実際に変化は起きた」かも知れませんし、「確かに変化は必要だったけれどもここで言う程の急激な変化は必要なく取り越し苦労だった」かもしれませんし、「列挙した変化が全く問題に感じなくなる程全く想像もしてない大問題が表面化した」かもしれません。更にいうと「私自身が変化に追いつけず今後とてつもない被害を被り、とても自分で見直す気に成れず記事を消した」かもしれませんし、「全部が全部圧倒的に取り越し苦労で恥ずかしくて記事を消した」になるかもしれません。

これって今後どうなっちゃうの?という点を列挙していきます。

 

 

現在の音楽イベントはそもそも集団であることに意味がある

今後どういう変化が必要になるのか分かりませんが、現在の音楽イベントはどれをとってもまず「集団であること」に意味があります。集団でやることには距離があっても出来る行いと、距離があっては成立しない行いがあります。そもそも今後は「集団であること」を第一目的にしない変化が必要なのかもしれませんが、とりあえず「集団であること」を前提に進め、最後に個人単位分かれた後の話に進みます。

 

 

コール&レスポンス

(1分52秒〜)

コール&レスポンス、一番簡単に言うと「セイホー!」と呼びかけて観客が「ホー!」と応えることを前提にしている楽曲構造はどうなるのでしょう。雰囲気でやっても盛り上がるし、楽曲の中にも如何にもそういう事をしますよというポイントがあるとこちらも「アレが来るぞ」と待ち構えているので楽しい。

でも会場全体で全力で飛沫を飛ばす事になり、しかもアーティスト側はそういう曲を作るというのはお客さんに飛沫を飛ばす事を誘うにもなるのかもしれない。やれば楽しいとは分かっているけれどアーティストサイドはそういう曲を演らない、作らないというスタンスが「正しい」振る舞いになる?

演奏者側の「正しさ」ってなんでしょう。こうすると盛り上がるとは分かっているのだけれど、物理的に危険なのでもう一段下げた方向で盛り上げる、ということなのかもしれあません。馬鹿みたいだなとも思いますが、今もビールメーカーが酒税対策で大規模資本を投じて敢えてやや美味しくないビール(第三のビール:酒税法上「ビール」「発泡酒」に属さない飲み物)を作っている現実もありますし、あり得るのかも知れません。「正しさ」とは何かよく分からなくなってきました。

 

 

シンガロング・合唱

ライブやイベントが盛り上がった際の合唱行為はどうなるのでしょう。これも先と同様の問題で「避けるべき」行為となるのでしょうか。メインストリームの楽曲には「合唱し易い」ことを目的にメロディーを作る作曲家が多数居ます。その前提が崩れるとメロディーそのものが「MVや配信で観て楽しい超絶技巧の超高難易度歌唱」とかに変わることも在るのでしょうか。

 

 

歓声

マイケル・ジャクソンが約百秒間ただ立っているだけの歓声待ちの演出

歓声はどうなるのでしょう。こちらは最も根源的な観客の欲求へ「自粛」を要するものになってきます。ライブやイベントが盛り上がったら感極まってワァー!!と叫ぶ、それは「避けるべき振る舞い」となっていくのでしょうか。現在スーパーマーケットやありとあらゆる店舗で列を作る時、私達は床の間隔線で待ちますし、線が無くても距離を空けることが「正しい振る舞い」となっています。歓声がない正しいイベントとはどういう状態なのでしょう。あまりにも根本的過ぎて全く分からなくなってきました。そのうち距離を空けていれば成立する、というものになるのでしょうか。今度は距離を大きく空けた興行が成立するのかという話になってきますが更に良く分かりません。ここが変わるなら音楽イベントは全てが変わると言って良いのでしょう。

 

 

モッシュ・リフト・ダイブ

ここまでの列挙は「声を出したことによる飛沫の飛散」という二次的副産物の話でした。ちょっと想像はつきませんが、例えば社会的距離を十分に空けた観客席・ダンスフロアが前提になっているとするならば飛沫は二次的な問題なので防ぐことは可能かもしれません。ですが、そもそも本来の目的として「人と接触するために行う」モッシュやダイブ等はどうでしょう。これは二次的な問題ではなく第一目的が人と接触することですから強制的に距離を空けると成立しなくなります。

 

 

肩車・リフト

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リフトの項目と重なりますが、ダイブ目的じゃなくても極めてよく見る光景としてフェス等で肩車している姿が挙がります。肩車以前にこんなに沢山の人を至近距離で集めること自体が無くなるので前が「人が多すぎて良く見えない」という前提すらなくなるのでしょうか。

 

 

手拍子・ハンドクラップ

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 ついに変更しなくても大丈夫そうな習慣が出てきました。手拍子は大人数で合わせることが目的に大きいですが、手拍子はその音と、やっているという行為がお互いに届けばいいので距離を空けても一応成立します。

 

 

PPPH

 コール&レスポンスの項目と大体同じかもしれません

 

 

ヲタ芸

ハンドクラップと同じで一人で出来ますが、群舞が前提になってきますのでどう変わっていくのかよく分かりません。**ダンス・**ステップのようなものも含め

「一人でやっても成立する」⇔「一人で成立するけど群舞でなければ意味がない」⇔「一人で行う行為だけれど位置関係自体にそもそも意味がある」⇔「複数人数いなければ成立しない」

の間で考える必要があるのかもしれません。踊ることの中に光演出が入っていてそのまま光の話が続くのでヲタ芸を選びました。距離が空いても成立するもので真っ先に思いつくものは音なら鳴らしもの、視覚なら光です。距離を開けることが正しい振る舞いとなる場合、こちらが強調されることになるのでしょうか?

 

 

音で応える:鳴らしもの

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まず音で応える場合を考えます。音で応えるものは現在も沢山あります。歓声→口笛→ホイッスル→ブブゼラのようなものは飛沫がともないます。距離を空ければ?成立するのか?分かりません。ただスポーツ観戦によく使われたジェット風船のようなどこに行くか分からないものはかなり困難になるように思えます。では鈴やタンバリンのような口を経由しない鳴らしものが必須になるのでしょうか。ズラッと並ぶ五千人単位の野外フェス(※本来は鮨詰めすれば万単位で人が入った)で行く人来る人全てがタンバリンを鳴らす姿、想像も出来ませんが音は演者の演奏にも入り交じる為、このジャンルは鈴、このジャンルは手と分かれるんでしょうか。分かりません。さっきから分かりません分かりませんばっかりで済みませんが、実際分かりません。

 

 

 

視覚で応える:光り物

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現状ではどのジャンルにも万遍なく存在するとは言い難い習慣ですが、光り物がここまで並べた中で一番諍いが無く、「正しさ」に対して汎用性が在るように見えてきました。もし仮に極端化して「光で応えるしかない」となると、ここにスマホが入り、物凄い変化するような気がしますが、只、デスメタルの人々が全員でサイリウムを振っている姿も想像もつかないです。

 

 

VJ演出は「暗闇の中で光る」事が前提ではなくなるのか

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配信イベントSecret Skyにて光に包まれるkzさんの演出

お客さんの応え方にも大きな変化がありそうですが、演者側にも大きな変化が起きるのかもしれません。現状、ステージやフロアでのイベントはほぼ無く、私達は毎日のように沢山の配信告知を目にしています。これも人によって感想が大きく違うと思いますが、例えばDJ配信でクラブを模して部屋を暗くしたり、自宅パーティー用のミラーボールマシンを配置していたりしているのを見ていると、私達の部屋はとても明るくて、横に猫なんか居たりするので私なんかは配信側の暗さと自室の明るさに違和感を感じたりします。クラブがそうだったから、配信でもクラブと同じ用に暗くするのが自然なのでしょうか。

私も2010年代前半でよく配信していたのですが、配信する際は部屋を暗くしたりライティングつけたりして配信をしていました。コメントも方向性が異なり、面白動画の「笑い過ぎて息出来ない」とDJ配信の「超踊れる」というコメントは近い感じがしますが、実際に画面の前でコメントする暇もない程踊っていても分かりませんし、クラブで歓声が湧く盛り上がりと配信でコメントがつく演出は随分違う気がします。踊りたくなるのと、踊りたくなるとコメントする気持ちになるのは違うんです。自分でやっていてちょっと違和感を感じても、週末にはリアルクラブイベントがあるので、すぐに違和感は修正されました。なんとなくあっちがメインでこっちがサブだと思っていたのでしょう。でも今は毎日の配信がメインです。Music Unity 2020であったり、Secret Skyであったり、あまりの演出の凄まじさに見ていて驚愕します。そもそも部屋が暗くなかったり、DJブースから人が消えたり、映像だけがグニャングニャン動いていたり、DJブースのDJが光の粒に成って消えたりします。

こうなると「クラブは暗い」という前提が無くなってきて、今度は逆にステージ側が明るい意味、暗い意味、人が映る意味、人が居ない意味をコントール出来る演者が出てきます(以前からリアルイベントでもそういう最先端の演出がニュースになるアーティストは居ましたが、全体がそうする必要に迫られると大分状況が変わります)。でも出来ない人も居ます。

 

 

フェス受けから配信受けに

そしたら映像演出が出来る人をまず見ます。私も同じ時間に色んな配信がやっていたらとりあえずパッと見映像演出が物凄い人の配信を見ますし、なんなら何時間でも延々と聴いてる事が心地良いタイプのミニマルDJとかはサブスクリプションやSoundcloudを「聴きに行って」しまいます。それは「観る必要がない」からですし「集団である必要もない」からです。同じ人がDJしても。現段階では配信模索段階なので、DJの魅力が見て5秒で分かる部分に集約されている気がします。

TVでやってるお笑い番組と人気Youtuberの面白番組は時間の進み方が物凄く違います。Youtubeの魅力を最大化するとああいう形に収まるのかも知れません。実況・生配信でアバターが居るのと居ないのでは随分に印象が違います。同じような作曲能力を持続していたアーティストがボーカロイドをきっかけに大ブレイクしたり、同じような話術を持っていた配信者がVTuberになった途端大ブレイクしたり、それぞれのジャンル・プラットフォームで得意な表現は随分に違いがあるようです。

 

 

ブチアゲないDJと維持できない緩い集団

クラブのDJと配信のDJは同じDJですが、現状ではあまりにも得意分野が異なるように思えます。クラブで半日ミニマルを踊りまくったり踊り疲れて酒のんでまた踊ったりは出来るのですが、私の場合ミニマルのDJを同じ時間に配信で半日聴いていると部屋で踊らないどころかなんだか途中で寝てしまうのです。

それは「そういう音楽を聴く必要がない」のではなく「集団である必要が緩い」からかも知れません。クラブでミニマルを聴いている時は確実に緩やかな「集団」なのですが、その緩やかで心地よい「集団」が余りにも緩やか過ぎて配信画面の前で維持できなくなってしまいます。結局好きな時間に録音されたDJ MIXを聴きます。それは配信のアーカイブでも良いですし、iTunesでもSoundcloudでも良いのですが、どれであれ時間は固定されず、もう私達は「集団」ではなくなってしまいます。

 

 

巨大フロア無き時代のビッグ・ブレイク

更に極端な話をします。何も予測がつかないのでとりあえず極端なことを考えます。仮にフェス・ライブハウス・クラブという現場が無くなるとしたら楽曲構造はどう変わるでしょうか。音楽は家で聴くもの、画面で観るものだとすると、椅子に座りながら数分ある巨大なブレイクとギュイーンといつまでも上がるシンセ上昇音を聴いているのが一番盛り上がる楽曲構造なのでしょうか。

極限まで超短期的な盛り上がりを狙った楽曲構造に音ゲー曲があります。音ゲー曲は基がダンスミュージックですが二分以内ぐらいに曲をまとめる必要があるので、勿論同じジャンルを作ってもブレイクが数分あったり、シンセの上昇音が一分続いたりすることはありません、少なくとも現在は。どちらが良いかという話ではなく必要があれば必要な形に音楽は変化すると思います。例えばダンスミュージックがフェスやイベントではなく家で聴くことを前提とする音楽になるのなら、ホームリスニングとして必要に迫られた音楽はどのような形を求められるのでしょうか。

よく言うフェスがライブ化している話とか、前述の配信で淡々とした抑え気味なDJの魅力が伝えづらいとかそういう話をしましたが、これを極端化するとループミュージックはDJが曲を繋ぐという需要が激減した場合、DJが楽曲を繋ぐ意味は無くなるのでしょうか。例えばDJ用楽曲はある特殊な楽曲構造を必要とします。

 

 

ダンスミュージックの長さとノリシロ

何年前だったかダンスミュージックに特化したダウンロード販売サイトbeatportにおける最も大きな売上を持つジャンルがテクノであることがニュース記事になっていたことがありました。同時に、テクノが一番人気というより、家でメインストリーム向けの音楽を聴く人はSpotifyで聴いて、DJで曲を使いたいリスナーやサブスクリプション配信をしないアーティストがテクノに集中しているんじゃないの?という話も出ました。テクノ・ハウスに限らず、DJ用楽曲には上の曲のようにものよっては非常に長い前後構造(DJ用ノリシロ)があります。

大雑把に言うと、こういう音数が極端に少ない時間があると次の曲の同じく極端に音数が少ない時間と重ねることによって、不協和音が発生しすぎたりする時間が調整することができます。簡単に言うと「DJがし易い」。Spotifyでフェスっぽい音楽には既に「Edit」と書かれた楽曲の方がDJ用のExtended Mix(曲尺が長い)より再生数が多かったりします。Spotifyから再生してApple AirPodでじっと聴くにしてはDJ用楽曲構造は確かに長いのです。

一番盛り上がるサビの部分だけを聴いても私達はぶち上がれますが、バスドラムとスネアドラムだけのDJ用ノリシロの部分だけを聴いても中々ぶち上がれません。私はそっちでも盛り上がれる、という方も居るかも知れませんが、少なくともメインフレーズの部分とDJ用ノリシロの部分をどっちか捨てろと言われたらDJ用ノリシロを捨てることになるのが普通だと思います。ですが、サビで終わってサビで始まると繋げるのはDJが大変です。

メインストリームのフェス向け音楽ではかなり軽量化が進んでいて既にかなりこれに近い構造になっている楽曲もありますが、それは先程の「配信DJに特化した映像演出の一人勝ち」の話に近く、淡々としたムードを楽しむDJ向け音楽や、誰もが一発で聴いて分かるようなぶち上げポイントが無いダンスミュージック程こういう時間が大切になってきます。「フェス・ライブハウス・クラブという現場が無くなる」という仮定で話を進めるならこの時間の取り扱いはどうなるのでしょう。

極端化して「DJってクラブにいるヘッドフォンしてる人でしょ?」から「DJって配信でやる映像が物凄い音楽のアレでしょ?」となったとすると特にメインストリームではフェス向け音楽で極端化していた楽曲構造が更に極端化しDJ用ノリシロの役割がどんどん小さくなるかもしれません。例えブチアゲ系の音楽であっても、人がフェスで立ちっぱなしで待てる時間と、人が配信で画面に釘付けになりスマホを見ずに居られる時間には相当に差があるように思えます。人は易きに流れるのです。

これが進行して、淡々と配信するDJプレイの視聴者数が(これまでのクラブよりも)極端に少ないとすると、お金にする機会が(今よりも)減るので、DJ用ノリシロが必要な音楽は(今よりも)極端に好事家の作り手と聴き手の為のものになるかもしれません。DJ用の極端な楽曲構造の長さはロシア文学へ。

極端な仮定をすると言いましたが自分でも思った以上に極端な話になってしまいました。私もここまで一か零になるとは思っていません。

 

 

最重低音がFである必要はない

とはいえ「大規模フェス」「大規模ライブ」というもののあり方は本当に変わるかも知れません。淡々としたDJプレイを必要としないなら楽曲構造に変化がありますが、大規模フェスやラウドスピーカーを必要としないなら今度は音構造に変化があります。

既に元音源・ライブ向け音源・Spotify向け音源・Instagram向け音源での別途マスタリング(後者ほど後発)は商業規模が大きく成れば成る程需要が有りますが、フェスやライブを前提としないのなら前者がなくなり後者に統一する事に成ります。今まである意味こういうマスタリングは「割り切り」の一つとも言えましたが、そういうものを前提としない音楽の音構造はどういうものに成るのでしょうか。

フェスでプレイする際に最も強くなる最重低音音域はF(ファ)やF#だからこのどっちかにしろ、みたいなチュートリアルや授業は沢山ありますし実際そうしている人も居ます。なんて凄まじい割り切りだと驚きましたが、フェスサイズのラウドスピーカーで鳴らす機会自体が存在しないのならこの音構造は必要となくなります。

FやF#固定は極端な例ですが、昨今の低音需要の中、ラウドスピーカーという前提が全部カットされると、ダンスミュージックはどうなるのでしょうか。何度も例に出して申し訳有りませんが例えば音ゲーはダンスミュージックを基にしつつ、ゲームセンターでのスモールスピーカー(による大爆音)を前提としているので音構造が相当上にずり上がっています。しないとはっきり聴こえません。これは必要があってチューニングを変えているのです。これがダンスミュージック全体の「必要」に影響するとどうなるのでしょう。あまりにも極端過ぎてちょっと想像が付きません。今まで半世紀かけて作り上げてきた所謂「ドンシャリ」的な音構造が一切吹っ飛びます。

 

 

ドンシャリ・サウンドは「やっぱり生のオーケストラは違うよね」という扱いに

極端に言いますと「やっぱり生のオーケストラは違うよね」みたいな扱いになるのかもしれません。つまり一部の人にしか意味がわからない音構造。

「昔のダンスミュージックって、なんか異様にドラムしか鳴ってない静かな部分ばっかあるけど、あれって実は超でっかいスピーカーで聴くと全然違うんだって、お父さんがそういってたよ。あれって実は静かな部分じゃなくてあれが一番でかい音なんだってさ、俺たちの背丈よりも高いスピーカー使ってたらしいよ?想像もつかないね。」

FとかF#とかそういう問題じゃないですね。日本の住宅事情、アメリカの住宅事情、インドの住宅事情、それぞれで聴こえる範囲が大きく違いそうです。むしろ大規模フェスがなくなったら自宅のオーディオを高級化する方向に働くのか?技術が進めば進むほどここ三十年むしろ如何に圧縮した音源を小さなオーディオで聴くかに進んできていますのでそこはよく分かりませんが、全てのリスナーに高級なオーディオを迫るよりも、作り手がリスナーの環境に応じた音構造を作る方が早そうです。全体がそこへ集中するのか、あまりにも変化が急激過ぎるのでジャンルごとに分化するのか、共通リスニング方法が無くなって分化するのかよく分かりません。分かりませんって何回言うんでしょうかこの記事は。

 

 

ペア・ダンスをしたいという欲求そのものが理解出来なくなる日

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映画Back to the Future ダンス=ペア・ダンス だった

 何がどう変わるのか分からずにとりあえず思いついた極端な例を列挙しました。このうちのどれ一つとして起きることのないひとり相撲であることも十分に考えられます。ですが、音楽の聴き方、踊り方一つとっても世代ごとに全く前提が違うことは確かですし、これからも違うことは確かでしょう。問題はその変化が2020年で極端に起こるのかどうかです。

映画Back to the Futureにダンスシーンがあります。未来からやってきた主人公がいきなりロックンロールという未知の音楽(Johnny B Goode)を演奏し、まわりが全く理解出来ず棒立ちになってしまいます。去り際に一言

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「君らの子供は分かる」

私はペアダンスをしたことがありませんし、してる人を観たこともありません。ですが、ある世代ではそれは普通のことなのですね。「(ペア・)ダンスをしたことがないなんて人生を半分損してる」と思う人も居たかも知れませんが、もう分かりません。現代はどのような変化が求められるのでしょうか。

多くの人がそうである様に、私には良い方向にも悪い方向にも今後の変化が予測できません。超安価に誰もが簡単に摂取することが出来るワクチンが年末に登場するのかもしれませんし、ずっと無いのかも知れません。

日本ではスペイン風邪問題の解決に大体三年かかったと聞きますが、今では当時どの様な空気だったのかすら私は実感が上手く持てません。黒船来船で日本はコレラ・パニックに陥り妖怪「虎狼狸(ころうり)」まで登場しますが、今では幕末志士が大好きでもコレラが開国にどう影響していたのか中々ピンと来なかったりします。江戸時代には「疱瘡(天然痘)は見目定め、麻疹(はしか)は命定め」と言われましたが、私は天然痘を恐れて生活したことが有りませんし、同様に結核を恐れる生活も送っていませんので、もし今公共施設に痰壺が置いてあったら汚いなぁと眉をひそめるでしょうし、もはやそれが何の「必要」に迫られた対策なのか私には直ぐには理解出来ません。

社会的距離は痰壺の様な忘れられた習慣になるのか、外国人(南蛮人)から教わった手洗いのように当たり前過ぎてその出自を忘れるほど常識化するのかさっぱり想像がつきません。どちらにせよ「必要」であれば変わらざるを得ません。

「ライブに行ったことがないなんて人生半分損してる」と言われても、私達は現在ですら共通了解とは言えません。そういう人も居るでしょうし、そうでない人も沢山居るでしょう。それが段々と「ライブに行ったことがある人に会った事がある」事すらも無くなっていき、いつしか「ペア・ダンスをしたい」という様に欲求そのものが理解出来なくなるのかも知れません。

変化するのかしないのか分かりませんが、少なくとも今の私には心の準備すら全く出来ていません。

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